小田島美智子社長(現会長)の就任から20年間、ウオレイは一貫して旧体質の塩モノ問屋からの業態の変革を目指して来ました。まず会社の財務体質の改善を断行。そして変化する時代に素早く対応できる人づくりに力を入れました。社員は交代で社外へ出向し、他社のプロの方を招いて切り身の技術研修を受け、早朝から市場へ通って鮮魚の知識を身につけ、精神鍛錬や教育研修にも力を注ぎました。それでも『問屋不要論』などという本がベストセラーになる時代。先行きは不安いっぱいでした。
社員全員で自分たちの夢、やりたい事、頑張りたい事、やれそうな事を考え書き出し、何度も話し合いました。長い間苦しんだすえ、ウオレイの最大の強みは「良質な魚を見極める目利きの技術」と「産地やメーカーとの人的なつながり」であると気づいたのです。そして、会社の将来像は「強みを活かし、海産物で高品質な味を開発し、自社のブランド商品を創る事」との、方向性を決めました。
その途上では、開発加工メーカーと小売機能をあわせ持つ卸売業を目指し、1988年(昭和63年)、越後湯沢駅前に越後産品の店「駒子雪本舗」を実験的に開業。都会のお客様に照準を合わせ、「駒子雪」と名づけた自社開発の白い笹ダンゴ、色とりどりの小千谷ちぢみのショール、高級な陶器などを華やかに並べました。マスコミでも盛んに取り上げられ、県内外の多くの人々と知り合うきっかけとなりました。
その後は、手づくりの自社ブランド商品の研究・開発に、ますます力を注ぐようになりました。