1958年(昭和33年)、8代目・小田島安一が経営を引き継ぎます。
昭和30年代は大きな混乱の年代。悪戦苦闘の10年余でした。安一は赤字解消のために増資し、地域や取り引き先の協力を得てようやく苦難の時期を乗り越えます。
その後安一は、いざなぎ景気(1965年10月〜1970年7月)によるレジャー産業や観光産業の将来性を見越し、1967年(昭和42年)に六日町営業所を開設。スキー場のホテルや旅館に良質な海産物を卸すことで、売り上げを拡大していきました。
その後、越後湯沢近隣地域の発展により社業は発展。六日町営業所の存在が、現在の当社の基盤となったことは間違いありません。
1976年(昭和51年)、健康を害し会長に退いた安一を助け、別府幸三(安一義弟)が社長に就任。その後、約10年間社業を支えました。
1981年(昭和56年)安一が病没。取引銀行、そして社員の強い要望を受け、長女である10代目小田島美智子(現会長)が取締役に就任します。会社経営の知識も引き継ぎも、既に経営していた保険代理業を続けながらウオレイの経営を担う形になりました。
その後、別府幸三の引退を機に1987年(昭和62年)8月、美智子は社長に就任しました。